例の事件ですが、正直動画に目は通していません。
ただ「◯ねばいいのに」
としか思わないですね。
特に考えたわけでもなく思ったままをタイトルにしましたが、「いじめ、ダメ、ぜったい」とか「いじめを無くそう」なんてクソみたいなスローガンも、言っちゃった人だって本音は無くなるはずないなんて分かってるんですよね。
今回のように通常児童、生徒間の問題に対応するはずの教師(大人)だってやっちゃいますし、社会に出ても低俗な会社や組織内では平気で起こり得る。人の親という立場になってしても。
よくこうした事件・問題が生じた際の加害者の供述に「いじめだとは思わなかった」とか「仲間内での冗談だー」なんてことを耳にしますが、それって結構本心だったりするはず。
やられた側からしたらたまったもんじゃないですけど。
勿論わかっていながらやるとんでも人間もいますが、世の中からいじめが無くならない大きな理由の一つにこれがあると思う。
「えっ?…これが?…」
と大きな問題になってそこで初めて"いじめ"について考える、気がつく大人たちも多くいるはず。
だから厄介なんですけど。
これは今更事案ですが、教師なんてものは小中高と順風満帆若しくは至って普通な人生を歩んでこられた人間しか選ばない道。
フィクションでは一校に1名ぐらい壮絶ないじめ経験者の教師が出てきますが、まともな神経をしていれば学校という敷地に足を踏み入れることを考えるのすら無理だって。
それが学校に対して負の感情しか持たない側の一般的な感覚だと思う。
いじめが起きたあるクラス内を極端に分ければ、いじめたつもりのないいじめた側か、世渡り上手ないじめに関与しないその他大勢チーム、そして人生通して敗者となる可能性大な被害者
この3つしか無い。2:7:1ぐらいの比でしょうか。
そして教師は当然被害者以外の出身が9.9割。
そんな人に子どものいじめが解決できるわけが無い。
その昔自分自身で手を下し、又見逃した実績があるんですし。
こうした事件が明るみになった際に謎の正義感?からSNS上で批判・批評しているのもその他大勢にいた人間たち。
友達を助けられなかった等、その過去の自分の行いを悔いている数少ないタイプもわざわざ教師になる確率は恐らく微小も微小。
たまに居るいじめ問題に積極的なタイプの教師は間違いなく後付けでしょう。
悪を許さないとする自分が好きなタイプ。
そんな教師達はとにかく気付くことができません。
もしくは見て見ぬ振りをします。
問題が明るみになっても、対処の仕方が分かりません。
平気で全体アンケートなんか書かせてきます。
顔を伏せさせ手を上げさせます。
今はどうか知りませんが。
書く、手をあげる人間は基本的に一人しかいないのに、書いたら、手を上げたら次はどうなるかを想像することができません。
教師は助けてくれません。
多忙で理不尽な労働環境には同情しますが。
意外と教師も悪くは無いのかも。
助け方が分からないのだからもう仕方ない。